2014年12月31日

資料館の冬休み2014〜2015

西坂のにゃんこたち_R.JPG皆さま
なんと今年もあとわずか数時間となってからのお知らせです。
遅くなってしまって大変申し訳ありませんあせあせ(飛び散る汗)

資料館の年末年始のお休みは以下です。

期間:12月27日(土)〜1月5日(月)

この期間内に、ぜひとも当資料館を見学したいとお考えのかた、必ずメールにて事前に資料館までご相談くださいませ。(メールアドレス: tomoneko@land.linkclub.or.jp )
期間中は、電話やファックスには、すぐにはお返事できないこともあります。また、当日いきなりの対応などは無理な場合もありますのでご注意ください。

昨年も岡まさはる記念長崎平和資料館へのご支援大変ありがとうございました。
そして来年もどうぞよろしくお願いもうしあげますひらめき

※写真は資料館近くの西坂公園の猫たち猫
posted by toratanu21 at 19:34| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月10日

第14回長崎と南京を結ぶ集い ― 南京大虐殺生存者長崎証言集会 ―

陳徳寿さんブログ.jpg皆さま

近現代史講座と同日ですが、南京大虐殺証言集会が開催されます。
生存者の高齢化がすすむなか、直接にお話を伺える機会は本当に貴重です。
ぜひ多くのかた、ご参加ください。
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第14回長崎と南京を結ぶ集い
―南京大虐殺生存者長崎証言集会―

日時:12月13日(土)18時〜
場所:教育文化会館2階大会議室(長崎駅から徒歩5分)
入場料:一般 1000円/学生(大・高・中)500円

 今年も12月13日が近づいてきました。1937年のこの日、日本軍は南京を陥落させ、6週間以上も、虐殺、強姦、略奪、放火等を繰り返しました。この南京大虐殺という出来事は、中国の人々、とりわけ被害者の方々にとって、深い悲しみと苦悩の記憶に結びついています。  一方、日本では、南京大虐殺を学び反省するどころか、未だに「南京大虐殺はなかった」といった主張が堂々となされている状況です。被害者は、75年前に日本軍によって生命や尊厳を奪われたうえ、現在も否定され、忘れ去られようとしているのです。
 私達はこの現状を変えようと、毎年12月に生存者の方を南京から招聘し、集会を開いています。高齢の生存者が日本で証言をされるのは精神的・肉体的に大変なことに違いありません。領土問題で日中の対立が煽られている今こそ、多くの方に、歴史の証人である生存者の声に耳を傾けていただきたいと思います。ご参加をお待ちしています。

◆南京大虐殺生存者・陳徳寿さんの証言
 1932年生まれ。日本兵が若い女性を探すために自宅にあらわれ、同居の叔母(当時27歳・2歳と4歳の子どもあり)が抵抗したため刺し殺される。父は、日本軍が放火した地域に救助活動に行った際に捕まり、刺し殺されたことを後に祖父から知らされた。

◆解説:張亮さん(南京大虐殺紀念館職員)
 南京大虐殺の膨大な資料を展示する南京大虐殺記念館(正式には侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館)。生存者が高齢化するなか、歴史・記憶の継承や資料の収集・保存等、紀念館が果たす役割はより重要になっている。今回は、紀念館より張亮さんをおまねきし、南京大虐殺についてのプレゼンテーションをしていただく。なお、岡まさはる記念長崎平和資料館は、紀念館の友好館。
※写真は陳徳寿さん

資料館メッセージを読む
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「靖国神社とは何なのか」〜近現代史講座第5期第3回ご案内

kingendaisikouza2_R.jpg皆さま

いよいよ「特定秘密保護法」が施行され、「大本営発表」に左右されるような時代がやってきました。そして、戦争で死ぬことを美化するための装置、靖国神社もまた、その必要性が高まってきているようです。
今回はその靖国神社の歴史を掘り下げて考えていきます。
ぜひご参加ください。
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日本の近現代史 第5期 第3回
靖国神社とは何なのか 〜招魂社から靖国への疑問〜
レポーター:葛西よう子さん(女性史研究家)
日時:2014年12月13日(土)14時〜16時
場所:長崎県教育文化会館 401号室 (長崎駅前電停より徒歩3分)

※どなたでも自由に参加できます。参加費(資料代)300円が必要です。

【講座概要】
 幕末の戦争で最も多くの犠牲者を出した長州藩主は、1865年下関桜山に招魂社をたてた。民間信仰として受け継がれて来た御霊信仰=恨みを抱いたまま死んだ怨霊が災厄をもたらすのをおそれ、鎮めるための神社である。維新の志士を祀る招魂祭が年々おこなわれていた。江戸城が無血開城した直後江戸城内に神座がもうけられ、「叡慮=孝明天皇の志」によって永く「其霊魂を祭祀」するものだとしている。
 69年東京遷都と共に九段坂の幕府軍歩兵屯所跡に「東京招魂社」が建てられ、戊辰戦争の新政府側3588名の招魂式が行われた。「国家」としての日本が顕現されると共に東京招魂社は「靖国神社」と改名された。通常の神社は内務省の管轄だが、87年には陸海軍省専管となった。81年陸軍省が戦没者の忠節を顕彰するため境内に武器陳列場を建設「遊就館」と名づけられた。94年日清戦争が開始されると、その戦利品が続々と「遊就館」に収められた。1904年日露戦争開始。圧倒的な犠牲と国力を動員したこの戦争で、勅使が派遣され、06年には日露戦争の戦死者約8万名の招魂式が行われた。祭神を「英霊」と呼ぶようになり、戦争の激化に応じて「靖国で会おう」との言葉が使われた。
 1945年GHQは「神道指令」をだす。神社神道に対する特別の保護を禁止した。「宗教法人法」公布、一宗教法人として存続する他はなくなった。52年日本は独立、10月戦後初めての例大祭が行われ、昭和天皇と吉田首相が参拝した。独立と共に戦没者遺族等援護法が施行され、翌年軍人恩給も復活する。これの適用に戦犯が加えられた。A級戦犯については、78年松平永芳宮司の「東京裁判史観の否認」の意志が働いて密かに合祀された。68年キリスト教の牧師、角田氏が兄を霊璽簿から外してくれと要求したが、神社は拒否、朝鮮半島出身者21181人、台湾出身者2万7863人が祀られている。これらの遺族からの取り下げにも神社は応じていない。
 首相の参拝の公式、非公式問題、諸外国からの批判問題、など靖国にまつわる問題を分析、靖国が果たして来た歴史的意味を解剖したい。
posted by toratanu21 at 20:42| 主なニュース・ご案内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする